2009.06.01

インドネシア・ジャワ島 シーカヤック横断 -文化交流編 -

八幡 暁

旅に出れば、必ず誰かと出会があります。これは大きな楽しみの一つです。今回のインドネシア・ジャワ島シーカヤック横断では、世界で一番人口の多い島と呼ばれるジャワ島にふさわしい数の人々に出会いました。これは、そんな出会いの中のエピソードです。

「どこから来たの?」

ジャワの村々を移動して、もう何日たっていたでしょうか。ぼくの頭の中は、インドネシア語でどう話すか、聞くか、という状態になっていた頃です。突然、日本語が聞こえてきました。振り返ると、体のごついインドネシア人が居るのです。

「ジャカルタからだけど、日本語、わかるのですか?」

ぼくは、インドネシア語で返します。「わかるぅ、ちょとね」微妙に間違っている日本語が返ってきました。お互いが相手の国の言語で話しています。少し変な状況です。「何故、日本語を話せるの?」怪しいかもしれない、ぼくは警戒していました。

バリ島には、日本語を話せるインドネシア人が沢山います。全員が悪い人ではないのですが、事実、ジゴロのような輩も沢山います。日本人の女性を捕まえては、金蔓のようにするのです。実際、日本人の女性を助けた事もありました。この旅でも、片言の日本語を話す悪徳警官とやりあっていた事もあり、心を許せる状況ではありません。悪い人ではなさそうだけど…

「ぼくね、コチの船、乗ってたんだべ」
「こち?」
「コッチ」
「あぁ、高知!?」
「そう、コッチ」

日本のマグロ船に3年くらい乗っていたという男でした。観光客など誰一人として来ない村に日本人がカヌーに乗ってやってきたと聞いて、驚いて来たというのです。

「うちにおいで、だいじょぶ」

ぼくらは、彼の村に入るまで海で苦戦していました。上陸するには、まだ距離が伸びていません。1日40キロは漕がなくてはいけないのに、30キロ程しか進んでないのです。もう少し漕いでおきたい。しかし、昼前に風があがり、沖の波はブレイクし始めていました。海岸線は、全て泥!上陸出来そうな場所が見当たりません。午後まで荒れた海を漕げば、最悪の状況になることも考えられます。海は、容赦なしです。迷っていると何隻かの船が、ブレイクしている波に乗りながら泥地帯に入っていくのが見えました。

「すげぇな、あの船…」

河口を遡る

波が高いから、座礁させてでも泥の上で避難するのかな?暫く見ていると、泥とジャングルだけに見えた海岸線に船が入っていくのです。

「河口があるんだわ」

きっとあの奥に村がある筈です。

スープ状になっているサーフゾーンをブレイスし、波に乗りながらなんとか湿地の安全地帯に入りました。しかし、もうパドルが泥を捕まえてしまうくらいの浅瀬です。この泥に掴まったら身動きが出来なくなるのです。早く、あの河口に行かないと!!

泥から脱出

引き潮との競争を征し、無事、川を漕ぎ上がることが出来ました。泥の川を遡る事1キロ以上だったと思います。ようやく村が見え、船が見えてきました。港という感じではなく、泥の上に船を座礁させるように停泊しています。 ぼくらは、彼らの邪魔にならないよう、村の端に上がろうと接岸しました。土が見えるところまでカヤックが寄れません。泥に船体が着いてしまっているのです。仕方なく、カヤックから降ります。

途端、足の根元まで泥で埋まってしまいました。こんなところまで泥が深いのかと驚きます。あと数メートル先に土が見えるのですが、足の埋まって上がれません。カヤックは泥に乗っかって動かない。それを村の子供達がじっと見ていました。

子供達が集まってきた

「お〜い、ちょっと来て!この紐、引っ張ってくれぇ!」

子供達は、不審そうに見ていたが、紐を取ってくれました。引っ張り始めたら、もうしゃかりきに引っ張ります。

「おぉ凄いな、ありがとう、助かったよ」

なんとか上陸です。子供達は好奇と警戒の眼差し。ジャカルタから漕いできた、という事が理解出来ないようで首をかしげていました。そんなわけないだろうと思っているのでしょうか。何か不思議な物を見た、というように子供達はすぐに家に帰って行きました。

ナシチャンプルーで決まり!

ぼくらは荷物を乾かし、カヤックを陸に引き上げて、食堂を探しに村に入っていきました。噂は、たちまち広がります。ワルンと呼ばれる食堂で飯を済ませて、カヤックの場所に戻ると、もう次ぎから次ぎへと村の人が集まってきます。そして、それぞれが同じ質問をしてくるのです。やばいなぁ、始まってしまったか。

ここまでの間、何度も同じ事がありました。この質問攻めは、日が暮れるまで続く事が予想されました。テントを張れば物珍しさから中を覗いてきます。これは、どうしようもない事です。テントは、暗くなる直前まで張れません。そんな時に、変な日本語を話す漁師の男が声をかけてきたのです。

日本語使いのインドネシア漁師の家へ

彼の家にお邪魔して、水浴び(シャワーなく、水を貯めた桶があるのがインドネシアスタイル)をさせてもらいました。何日ぶりのシャワーでしょう。あぁありがたい。水浴びを終えると、甘いお茶を入れてくれるのです。はぁありがたい。お菓子まで出てきて…

彼の日本での珍道中を日本語とインドネシア語をない交ぜにしながら聞きます。高知の漁師は怖いこと。網の修理は俺が一番早かったこと。また出稼ぎに行きたいこと。この村の漁のスタイル。村の養殖場が溢れないように、大雨の日は夜通し見張りがつく話。止め処なく出てきます。カヤックの事を聞いてきます。あんな船で、怖くないのか?どこまで行けるのか?波は大丈夫か?飯は、トイレは、疲れるのか?etc...

きっと昔から海を旅する人は、こうして情報を得ていたのだと思います。他所から来た人が持っている情報は、掛け替えのない世界です。そして、その逆もしかり。異国のお菓子をつまみながら異国の話を聞き、幸せな時間を過ごしました。

あっという間に、人だかり

家の外には、沢山の人だかり。日本人を一目見ようと、村人が集まっているのです。こうした素直な驚きを体で表現するのが、ジャワ島の人のようです。昔の日本もそうだったのでしょうか。手をふれば、笑い声がかえってきます。平和だぁ。

ぼくらは天候の関係で2泊もさせてもらい、この村を去りました。朝早くの出発だというのに、皆が見送ってくれます。良い出会いと、人の出会い、支えがあってなりたって成り立っているのだと、しみじみ感じる瞬間です。

向う海には、また荒波が待っているのですが、その後には、また違う出会いがあるのだと、それが励みにもなるのです。ぼくらにとっての未知の旅が、彼らにとっても未知の出会い。互いが刺激になる出会いであれば、尚、素晴らしいのものです。

見知らぬ異国の人の温もりは、旅に素晴らしい感動を与えてくれます。

レポーター紹介
八幡 暁
八幡 暁

手漕屋素潜店ちゅらねしあ代表。普段は、西表島から石垣島まで、アイランドホッピングやキャンプ、シュノーケリング、シーカヤックを使った自由な旅の道先案内人。そこで得た稼ぎを、自分のシーカヤックの旅につぎこんでしまう放蕩者です。スタッフに見放されないよう精進の日々。が、A&Fの好意により、放蕩に拍車がかかり、海を渡り続けています。

グレートシーマンプロジェクト 手漕屋素潜店ちゅらねしあ