2013.10.04

「走作楽天」第1話 トレイルランニングが教えてくれたこと。

渡邊 千春

※表紙イラストは渡邊千春さんの奥様が本連載用に書き下ろしてくださいました。

【第1話 トレイルランニングが教えてくれたこと】

 中年の星とかサラリーマン・トレイルランナーとか渋いロールプレイヤーのように雑誌などで私のことを紹介していただくことがあります。仕事をしながら海外のレースに毎年出場し続けているようなことが誰かの希望につながるのであれば、それは私の望外の喜びです。自分では特別なことをしているつもりはないのですが、もし私の考え方やここまでに至るまでの経験などが皆さんのトレランライフやこれから何かアクションを起こそうと思っている方のお役に立てば幸いです。

 私は、自分がどんな人間であるかを知ることが仕事も趣味も続けるうえでとても大事だと思っています。私は、トレイルランニングと出会い自分を知ることが出来ました。トレイルランニングに出会ったのは、私が香港に駐在していた時代(1996年~2001年)です。出会ったタイミングも絶妙だったのだと思います。トレイルランニングは、その後の私の人生を一変しました。

 バブル期に大学の部活(アメリカンフットボール)の先輩に誘われるままに都市銀行に就職し(1989年)、職場で妻と知り合い結婚(1991年)、翌年には長女を授かりました。会社にスポンサーになってもらい米国にMBA留学(1994~1996年)。卒業後はアジア通貨危機前夜の好景気に沸く香港で職場復帰しました。配属は希望通りで、以前は扱えなかったような大型の案件を任されたことやアジア各国への出張が楽しみで土日も会社でデスクワークをするほど働いていましたが、結局どの案件も顧客名が違うだけで仕事の中身やプロセスは同じ、いくら収益が上がったか、自分の会社、私の担当業務の市場のシェアはどのぐらいかといった目標を達成することに次第に閉塞感を感じるようになりました。

 1997年夏に始まったアジア通貨危機は、私の仕事を取りまく環境を一変しました。勤務していた銀行は、1998年暮れに海外の政府や企業との取引というまさに私の担当していた業務から撤退すると宣言。取引を解消し、香港の現地社員の多くに解雇を告げ、勤務していた現地法人を清算するという超後ろ向きの仕事が当面の私の仕事になりました。派遣されていた同僚である邦人社員はどんどん帰国していきましたが、私は香港に残ることになりました。海外業務から撤退すると宣言しつつも、大手銀行が日本の重要な顧客に対しアジアの情報発信すらできないという状況を回避するために残されたのだと思います。まったくの閑職でした。自分の市場価値が地に落ちたと実感しました。私は、出社はするもののフェリーに乗って離島にランチをしに行ったり、娘の学校の水泳の授業を見学に行ったり(インターナショナルスクールなので見学OKなのでした。)、同業他社の不良サラリーマンと夜な夜なネオン街に繰り出しストレス要因から逃避していました。

  この状況で色々なものが見えてきました。これまで私の下手な英語にも付き合ってくれていた顧客や同業他社の仲間が、私と付き合っていても何らメリットがないことを知ると蜘蛛の子を散らすように私から遠ざかって行きました。会社の看板で仕事をしてきた結果です。折も折、日本の金融機関の経営破たんというようなことまで起きる中、このまま世の中に放り出されたら家族をどうやって養おうかと強い不安を感じ、自分一人でも稼いでいけるような何かを身に着けなければいけないとの自覚を強く持ちました。会社が常に私の利益にかなったことをしてくれるわけではないというような当たり前のことも学びました。気分を変えたいという単純な理由でスキンヘッドのように髪の毛を刈りこんだら、同僚、上司の多くの視線が私の頭にくぎ付けになっているのに気が付きました。自分も銀行員として老成し、外見を気にする大人になるのが嫌でした。

 煙草を吸う動機になる仕事上のストレスがもはや存在しないことに気が付いて、10年近く続いたタバコを止めることが出来たのは良かったのですが、連日の暴飲暴食により体重はアメリカンフットボールをやっていた学生時代の体重をはるかにオーバーし、歩くだけで膝が痛み出すようになりました。日々、タクシー通勤。週末も運動らしい運動をしていませんでした。しばらく途方に暮れていたのですが、定時に帰れる環境を生かし、週に何度か香港島のビクトリアピークの中腹にあるミッドレベルという場所にある自宅まで職場から歩いて帰ることを始めました。とは言っても、ミッドレベルへの登りは当時から世界最長だったエスカレーターで登れてしまうので、平地を2km弱歩くだけの運動です。エスカレーターを使わなければ3~4kmの距離で、300m弱登ります。休日には子供たち(香港で97年に第2子となる息子が産まれました。)を連れて自宅からビクトリアピークまで歩いて登りました。自宅からビクトリアピークの展望台までの片道約4kmの舗装道路のトレイルはやはり300m程度の登りでしたが山頂に近づくにつれ展望が開けていく快感と達成感がありました。何度か登り下りを繰り返して徐々に体重が減り脚力が戻ってくるとビクトリアピークの展望周回コース(3km弱)のジョギングを組み込みました。興味本位で周回コースから脇道に入っていくとちょっとしたトレイルを発見しました。小さな沢が現れ、木々の間から貯水池や海が見える景色の変化に時間の経つのを忘れ、どこまでも続くトレイルを辿ると展望周回コースに戻ることが出来ました。ちょっとした探検をさらに続けたいと思いました。1999年の夏に妻子が一時帰国したのですが、週末のたびに朝から晩までうだるような暑さの中を水場も木陰もない香港トレイルを一日中歩き通しました。トレイルにはハイカーよりも毒蛇、捨て犬が徘徊していて怖い思いもしました。猛暑の中、飲み水が無くなり、腹が減って歩けなくなることも経験しましたが、なぜかちょっとした探検をやめる気にはなりませんでした。秋になると気温も下がって湿気も下がり、身体が楽になったと感じ自然にトレイルを走り出しました。走破する距離も10km、20kmと延び、香港トレイルだけでなく、カオルーンや近隣のラマ島にも遠征するようになりました。ドラゴンバックという高台から見える東シナ海の眺めや槍ヶ岳の頂上のような馬鞍山(マーオンシャン)の地形の変化は一般的に知られた香港の観光スポットに匹敵する雄大な自然でした。1997年に香港で生まれた息子が、ちょっとした探検の相棒になりました。腕に抱えられ私と同じぐらいの目線で雄大な自然の変化に見入っている息子に、外国人のハイカーが“You take the best spot(一番いい場所にいるね!)”と声をかけてくれました。身体を動かした後にトレイルから近い海沿いの村のシーフードレストランや街中の美食中華をたらふく食べても、ビールや紹興酒をいくらのんでも週末にトレイルで身体を動かせばまた体重はもとに戻ります。トレイルランは、リバウンドなしの理想的なダイエット法でした。

 【Chiharu`s Trail Pick】世界のトレイル”Dragon back in Hong Kong Island

2004年のTimes Magazineでアジアのベストハイキングコースに選ばれたイージーな10km弱の香港島のトレイル。香港トレイル50kmをビクトリアピークから辿ると最後の10kmあたり、如何様にでもドラゴンバックトレイルにたどり着くことが出来ますが、香港中心部からタクシーで30分弱(料金にして2000円程度)の土地湾(トウテイワン)のTrail headからしっかりついたマーキングに従いDragon Back(龍の背中)からゴールの大浪湾(タイロンワン)をめざすのが一番楽ちんです。Dragon Back は360°の雄大な東シナ海のパノラマを楽しむことができ、大浪湾は香港でも海の透明度が高いと言われ、ビーチで泳ぐこともできます。トレイルにはほとんどアップダウンがなく子供連れでも全く問題ありません。帰りは、大浪湾からミニバス、2階建てバス又はタクシーでMTR筲箕灣駅(Shau Kei Wan)を目指します。木々が覆いかぶさっている道をブッ飛ばす2階建てバスの2階部分に座るのがお勧めです。全行程でも半日あれば十分です。
「今年の3月の香港への家族旅行の際、息子とDragon Backから大浪湾をゆるーく走ってみました。12年前に比べればハイカーの数が増えていましたね。昔は絶対いなかった、トレイルを走る現地のランナーも確認しました。」

 ちょっとした探検がエスカレートして一日中危険を冒してトレイルを走るようになると、いったい何のためにこんなことをしているのだろうと何度となく自問しました。「そこに山があるから?」でも私は山を走ることが気に入っているのです。山を走るのは負荷が高いのでトレーニング代わりのランナーもいるでしょう。私も、後々マラソンを始め、トレランが良いトレーニングになったのは事実ですが、この時にその発想はありませんでした。体脂肪率が10%を切ってからもトレイルランをやめる気にはなりませんでした。私にとって、何故山を走るのかの答えは、端的に言うと山でとことん遊んで信じられないぐらい疲れながらも自分で計画した工程を走り切って深い満足感を感じるためでした。ある程度走れるようになると、地球儀でも確認できる香港島の端から端まで50kmを一日で走れるようになりました。ものすごい達成感でした。

 トレイルランでの達成感と、仕事のそれがかなり共通することもこの時期に発見しました。会社は、海外の政府や企業との取引からは撤退しましたが、時間が経過と共に落ち着きを取り戻し、融資以外のビジネスから再開しようという姿勢に変わっていました。タイミング良く東南アジアの某国の国営銀行が日本の公的な金融機関から融資を受けるという情報をキャッチしました。某国国営銀行は、アジア通貨危機により低迷した経済を立て直すために中小企業に資金を振り分けたいのですが、そのノウハウがなく困っているという話でした。某国国営銀行に対するアドバイスのイメージが沸き、是非業務にしたいと思いました。新規業務ということもあり企画の承認までとても苦労しましたが最終的に企画は承認され、顧客にアドバイスも受け入れられ、無事新規ビジネスをやり遂げることが出来ました。企画をまとめながら、この仕事とトレイルランニングの多くの共通点を発見しました。新規業務とは何で、誰にどのようなサービスを提供するのかという所謂業務のスコープを決めることは、トレイルランのコース選定のようなものです。取引に関係するクライアントやその他の関係者を白紙上にマッピングし業務の難易度を決める面とトレイルランニングのコース選定が直感的に同じものに思えたのです。アドバイスの内容はどのようなもので、なぜアドバイスに対してクライアントは手数料を払ってくれるのか?所謂フィージビリティを企画で示しますが、これは選らんだコースが完走可能か?何時間程度必要か検討することと一緒です。企画を実現するために会社の他のリソースをどのぐらい使わなければならず、それが調達可能かといったことを企画で示すのは、下山したらどのような交通機関を使い何時ごろ自宅に帰るか、水分や栄養補給をどうするかということを計画することです。両者とも所謂ロジスティックスですね。企画では、業務がうまくいかない場合に何が起こるか分析しますが、これはエスケープルートの設定、エスケープルートを辿った場合の交通機関の有無をあらかじめ調べることと同じです。

 この仕事をうまくまとめることが出来た時は、香港トレイル50kmを初めて一日で走り通した時のような達成感を感じました。金融という業務に携わって約10年でしたが、何かを自分の力で創りだすことが出来たということが新鮮でした。収益とか市場のシェアといったような数字で評価され、その結果、出世し給料が上がるといった物質的な物差しでは測れない、金融で創造する仕事をするという自分の達成感でしか測れない目標が出来たのです。もちろん、仕事の結果が会社や顧客にとって少なからずプラスでなければ業務として成立しませんが、それ以上に達成感を求めることを最上位の目標とすることで大いに仕事に対するモチベーションが上がりました。この仕事を切っ掛けに、仕事に向き合っていく自信がつきました。この時から私の人生の目標は、仕事であれ趣味であれ「達成感を求める」というとてもシンプルなものになりました。

 「走作楽天」の第二話へとつづく

レポーター紹介
渡邊 千春
渡邊 千春

外資系企業で働きながらも、UTMBなど海外レースをはじめ数多くのトレイルレース、イベントで活躍中のビジネスマンランナー。親子でトレイルレースへの参加やアルプス山行などトレイルを楽しむ。