2013.11.28

「走作楽天」第5話(最終回) 海外レースに出よう

渡邊 千春

※表紙イラストは渡邊千春さんの奥様が本連載用に書き下ろしてくださいました。

【第5話 最終話 海外レースに出よう】

 2009年から海外のトレイルレースに参加しています。ランナー、主催者、サポーター、そして大会を温かく支える地元の人達、レースの舞台となる自然、街の様子、コース上で見かける動物達を始めとしてあらゆるものが刺激的です。現地の言葉でのエントリーの手続きを始め様々なチャレンジがあるかもしれませんが、是非一度は海外のレースに出てみることをお勧めします。記憶に残るレースになること請負です。可能なら前後にバカンスも組み込んで一生の思い出にしましょう。私は、初めて海外のウルトラトレイルレースに参加した42歳の夏以来、年々楽しい夏休みということを意識するようになった人生の巡り会わせに感謝しています。
 南仏プロバンス地方で友人に連れられ、セザンヌが好んで描いたセントビクトワール山に登り、ピカソの住んでいた城で今でも当時の生活ぶりがうかがえる浴室や台所に飾ってある恐らくピカソお気に入りの絵や彫刻等を間近に観て、後にフランスで10番目の国立公園に指定されたCalanqueという急峻な岩場に囲まれたビーチでパスティスというプロバンス地方特有のリキュールの瓶と氷の入ったアイスボックスを持ち込んでのピクニック(2009年)。翌年は、家族とやはり南仏を10日間のドライブ旅行。「橋の上で輪になって踊ろう」のアビニオン、天空の城ラピュタのモデルになったといわれるゴルド(石造りの家が山の斜面に階段状に積み重なった村)、家並みや村を取り巻く山肌がサーモンピンクのルシヨンという村。これらの街がある大好きなローヌワインの産地でもあるリュベロンと呼ばれる地方と前年も行った地中海に近いAix en Provinceでゆっくりした後に、ナポレオン街道を北上してアルプスまでの壮大なドライブ旅でした。2011年には、妻とバルセロナ、コスタ・デル・ソル、アルハンブラ宮殿、古都トレド、マドリッドを繋ぐ2000km弱を現代のドンキホーテの如く、縦横無尽にスペイン旅。これらを超える夏休みをトレイルレースへの参加と合わせて計画、実行していくことが私の毎年の目標です。

食事: 

 食事ですが、現地飯で平気な私でもスタート2日前ぐらいからの食事は口に馴染んだものを食べるようにしています。お勧めは、電子レンジでチンするだけで食べられるレトルトのご飯や赤飯等です。醤油などの調味料やみそ等の主な日本食の調味料や豆腐等の食材も現地のスーパーで手に入ります。しかし、無理に現地で日本食を続けるのではなく、普段から現地で手に入る食材と調味料で自炊し、食べ慣れるようにしています。
 主に使用する食材は、オリーブオイル、現地でも手に入り消化に良い魚(サーモンなど)や鶏肉、カリウムがたっぷり入ったアボカド、リコピンといえばトマト、主食のバゲットやパスタです。普段から買って飲む水は硬水、酒はローヌワイン(?)。微妙な味の料理を食べさせられる私の家族に同情して下さい。2012年のUTMBのレース後には、贅沢なサフランも含めハーブ・スパイス、バスマティ米、魚介類、乾燥したイベリコ豚のソーセージ等を現地調達してパエリアを作り、ロッジに集まった大勢の日本人ランナー、サポーター、スタッフの方に食べていただきました。一週間前にヤマケンが優勝を果たしたピレネーのレース後に現地で食べた美味しいパエリアにインスピレーションを得て適当に作ってしまいました。今更ながら味に違和感を覚えた方がいらしたらすいません。

旅行の計画:

 国際線、列車、ホテルの予約に関してはネットで日本語環境で出来るようになったので語学が不得意でも格安なセルフツアーを組むことが出来ます。レンタカー、空港からのバス、LCCの予約はまだ日本語対応ができていないことが多いので、多少英語が必要ですが慣れれば全く問題なくやはりネットで予約できます。スマホ、タブレット等があれば現地入りしてからもネットで予約や予約の変更が可能です。欧米では、田舎でもホテルはWifiが使用可能なのでローミング代も掛かりません。航空会社に英語で電話したり、現地の旅行会社のオフィスに出向いて手続きをしなければいけなかった昔に比べれば楽なもんです。レンタカーで旅行する場合ですが、ヨーロッパではマニュアル車が標準なので覚悟をしておきましょう。オートマチック車はオプション料を払わなければなりません。ナビゲーションも一日10ユーロぐらいのオプション料を払えば借りることが出来ます。電話番号や名前での検索機能はない場合が多いですが、長距離の移動にはあった方が安心です。ガーミンのナビと必要な地図は日本で買っていくことも可能です。ヨーロッパでは交差点で信号ではなく、ラウンドバウトというグルグル回りながらルールに従って自分の行きたい方向に出る仕組みがありますが、ナビは何番目の出口で出ろと指示してくれますし、ルールも大都会でない限りさほど難しくないです。

 その他日用品の買い物ですが、日本人はコンビニに慣れきっていて、コンビニがない海外では不自由に思われるかもしれません。しかし、生活に毎日必要な生鮮食料品やパン、飲料水やビール・ワインなどは小さい村でも必ず扱う店が一軒はあります。野菜や果物まで売っていることが多く、先ほどの食材で言うとトマト、アボカドは大抵の場合このような店で手に入ります。早く閉まってしまうこともありますが、朝は結構早くからあいています。しかし、田舎に滞在する場合はスーパーで買いだめするとか最低限の事前の準備は必要です。

レースの準備:

 今年はAndorra Ultra Trailに参加しました。夏至の日にアンドラ公国というピレネー山脈に位置する小さな国をほぼ一周するという能書きだけでロマンを感じるレースです。UTMBを走りながら、ヨーロッパのトレイルランナーにお勧めのレースはと聞くと結構このレースの名前が出てきていたので以前から興味がありました。意見を総合するとコースは最高にタフ、でも地元の声援が温かいレースのようです。100マイルのレースでも登りの合計が13,000mで、9,600mのUTMBに比べても過酷です。直前の情報では、降雪の多さからコース上に残雪が多い様なので、ゲーター、軽量のクランポン、ゴアテックスのトレイルシューズなど普段のレースには持参しないギアも持っていくことにしました。以下、私の持ち物リストを大公開です。(■は持っていったもの、□は持って行ったけど使わなかったもの)。

シューズ:

■シューズ(Vasqueペンダラム, 100マイルはいつもこれで走ります)
□シューズ(Vasqueベロシティ2.0GTX,ゴアテックス製です。現地で試走したところ渡渉が何か所もあって、すぐずぶ濡れになるので結局使用せず)

衣類:

■シェル(Outdoor ResearchヘリウムIIジャケット、180gと防水機能付きでは最軽量級)
■オーバーパンツ(Salomon製ゴアテックスのパンツ)
■バイザー(Outdoor Research Rader Visor、つばが折れてたたみやすい優れもの)
■チューブ(Outdoor Researchルーメンアーバーチューブ、メリノ混合で肌触り抜群のチューブ)
□帽子(Outdoor Researchサンランナーキャップ、首の裏を守る日よけ付き)
□帽子(Outdoor Researchレベルキャップ、ヘリウムジャケットと同素材の雨対策用の帽子)
■ベースレイヤ―(ibexウーリーズ150 ジップT、胸元のジッパーで温度調整可能できるのがナイス)
■タイツ(ibexウーリーズ150ボトム
■靴下(Darn Tough1/4ソックウルトラライト、メリノウール製速乾性高し)
■手袋(Outdoor Researchシームシーカーグローブ、革製の指が出るグローブ)
■アームカバー(Outdoor Researchセンチネルサンスリーブ、親指を出して手の甲を覆うことができ保温性もある)
■ゲーター(参加賞でもらったスペイン製?)
□ゲーター(Outdoor Researchスタミナゲーター、残雪対策用)
■パンツ(Outdoor Researchスロットルショーツ
■Tシャツ(Outdoor ResearchエコーT

ギア:Ultraspireのベルトの組み合わせ(奥がAFに作っていただいたもの、手前が自分で毛糸のループを作ったもの)

■サングラス(Oakleyジョーボーン、偏光グラス)
■ザック(Ultraspire Omega 容量8L)
■ベルト(Ultraspire Atomに同じくZetaというポケットを足して容量アップ)
■ハイドレーション(Ultraspireハイフローバルブ
■ボトル(Ultraspire 20ozボトル、空でスタートしエイドステーション間の補給のための水を入れる作戦)
■ストック(Blackdiamondウルトラディスタンス、ベルクロテープでザックのフロント部分に輪を作りそこを通してホールド)
■ヘッドライト(PetzlミオRXP)
■ハンドライト(Gentos)
□クランポン(Kahtoola Micro Spikes)

食品、その他小物:

■ベスパプロ、クリフバークリフショッツクリフショッツブロック(口の中で半分に噛み切って、噛まずに飲み込む)
■仁丹、太田胃酸、梅干し(田舎の自家製)
■炎熱サプリ
■天然ハッカ油(清涼効果、目覚まし効果大)
これらと水1Lを全てザックに入れると総重量は2.3㎏ぐらいでした。

レース:

 さあ、長期休暇を取ってバカンスも楽しみました、レース前の食事、体調管理も十分できました。後は思いっきりレースを楽しむだけです。私は、海外の100マイルレースで完走できたのは一度しかありません。
 3度目のUTMB(2011年)のことです。38時間かけて完走したその内容は途中リタイヤした2009年のUTMBの次に失敗したレースでしたが、人生であれだけ楽しい経験はありません。2009年のリタイヤ後、願を掛けて髪の毛を切っていませんでした。2010年のUTMBを完走し断髪する予定だったのですが生憎悪天候のため私は30km地点のコンタミンで中止を告げられました。これは私にとって更にもう1年間髪の毛を伸ばすことを意味していました。2011年のUTMFを完走して切ろうかなと邪な考えもありましたが、震災で中止になって敢え無くこの機会も失いました。この時は丸坊主から2年伸ばしたので「本当のワンレン」っておどけていましたが、これ以上伸ばし続けることは流石に会社的にもNGだったので2011年のUTMBはまさに背水の陣でした。冷たい雨の中、レースがスタート。寒さ対策で起毛のタイツをはいていましたが、防水のオーバーパンツはザックに入れたままでした。トレーニングも十分にできていたので冷たい雨に打たれながら夜中に2,500mの高度をガシガシ登っていました。
 レースの1/3、60kmのセーニュ峠の下りで大腿四頭筋にこの距離で通常感じるはずのない痛みを感じました。後で考えれば冷たい雨でぬれたタイツを乾かすために筋肉が余計にエネルギーを燃焼させたせいで筋肉のダメージが早い段階で出てきたのだと思います。前年のUTMBは中止でしたが、レースの翌日クールマイユールからUTMBの後半を辿るルートで行われた代替レースで34位に入ったことから、今回トップ選手と並び先頭グループでスタートすることで浮かれていたのと、悪天候を回避するためにスタート時間を5時間遅らせ夜中の11時半スタートとなるハプニングもあり冷静な判断が出来ていなかったのでしょう。
 さあ、でも絶望してばかりはいられません。ここからゴールまで110km近くあります。脚はすでに終わっていましたが、2年越しのヘアカットのチャンスを逃すわけにはいきません。肉体的には悪戦苦闘しながらも楽しみながら完走することができたのはランナー達との絡み合いのお蔭です。
2010のUTMBのRestartで34位でFinish(横にいるのがFred)
 クールマイユールを出てベルトーネ小屋を目指す登りで2009年に女子のコースレコードで優勝したKrissy Moehl選手が追いついてきました。彼女とは同じVASQUEのトレイルシューズを履いているという縁で2009年にシャモニーで食事を共にし、2010年の信越五岳でも並んで走ったことがあります。彼女は開口一番「Not my day!」と調子悪そうでしたが、「You are looking good! Keep going!!」と笑顔を見せてくれました。同行していた彼女のトレーニング仲間といった感じの男性が「You can do it, as long as you set your mind to it.  Just hung on!(あきらめるな!)」と声をかけ、私を追い抜いて行きました。初対面の彼に伝わるほど私は必死なのかなと一瞬冷静になるほど、気持ちのこもった印象に残る言葉でした。欧米のランナーは共感し、それを表現することを惜しまないのです。
 2008年からの友人であるVincent Chautard選手、前年のUTMBの代替レースでゴールまで3時間一緒に走り、手を取り合って感激のフィニッシュを果たしたFred Desplanches選手とはKrissyから離れてすぐに一緒になりました。皆で「最近どう?」みたいないな軽い話をしがら楽しくハイキングのように進みました。Fredは奥さんの仕事の関係でマルセイユからシャモニーまで一時間ぐらいの町に引っ越し(2010年にはマルセイユに住んでいるというFredとマルセイユ名物のブイヤベースは美味しい、日本の鮨は美味しいなど話していたその話の続きです。)、18世紀に建築された石造りの家を買ってリノベーションが済んだばかりなのでこのレースが終わったら泊まりに来いと(2012年に自慢の家に遊びに行きました。)。さらに彼は、89㎞地点のボナッティ小屋というエイドステーションでバゲットにサラミソーセージを挟んだ即席のサンドイッチを頬張り(「なんでレース中にそんな油っぽいもん食えんだよ!」と心の中で突っ込みながら聞いていた私)、格好良くポーズを決めながらアルプスから地中海に面したニースまでの500km以上のトレイル走破が来年の夢だと語っていました。やはり心の中で「よくこんな苦しいときにそんなより苦しい冒険をしたいと、しかも目を輝かせながら芝居がかって話せるな!!」とその変態ぶりにあきれたものです。そのFredもアルニューバという95km地点で「Fin」と言って棄権。アルニューバを先に出た私はコース最高地点のフェレ峠をなんとか越え、次のフーリーというエイドステーションでVincentが来るのを待ちました。アルニューバでは、「私と一緒なら勇気百倍!這ってでも完走する。」と意気軒昂だったVincentですが、コースコンディション悪化により距離が若干延びたことを携帯電話で知り、気持ちが切れてしまったようでフーリーに着くなり「シャモニーで待っている。」と言い残しレースを棄権しました。同行する仲間も次々にリタイヤし、気持ちが切れてもおかしくないこのタイミングでコース延長のニュースを耳にしたのですが、過去最長のUTMBに挑んでいるということとポジティブに捉え、さらに前進しようとしている自分がいました。  2009年にリタイヤを決意した場所であるフーリーでこの状況になっていることにも宿命めいたものを感じました。2009年にリタイヤしたことを電話で告げると、「あなたは、止める判断もできるんだ。安心した。」と気を使った言い方で妻は慰めてくれたのですが、フーリーから122km地点のシャンペ湖で待っている妻に「今回は、死んでもゴールする」と電話で話しました。今までの人生で本気でこんなことを言ったことはありません。シャンペ湖に着いたのが遅かったので妻とやはり応援に来ていてくれた姉はシャモニーの宿舎に帰ってしまった後でしたが、おにぎりと日本茶と激励のメッセージを残してくれていました。日本食を補給し、このエイドステーションで楽しみにしているフロマージュを数個口に放り込み暗闇のコースへ一人で飛び出しました。
 ここから若干のコース変更が始まり、いつまでも暗闇の森の中を下りて行くことにとても不安を募らせていたころに出合ったのがBrian Melia選手です。彼は、特に下りが辛そうでした。登りでは私に先行して登り切ってしまうのですが、彼は常に先に行って待っていてくれる親切な英国紳士でした。下りで私がハンドライトで彼の足元を照らしていることに気が付きお前は親切だと何度も繰り返していました。Brianは、英国のマンチェスター近くに住んでいるのですがUTMB以外にも、この辺のトレッキングに度々来ているため地理に詳しい様子で、暗闇の中で感じた不安に懲りていた私はペースを合わせて付いていくことにしました。話すうちに家族構成が似ていて、ストレス過多な仕事で拘束されることが多い等多くの共通点を見つけました(2013年にUTMFのために来日し、Pat Methenyが好きであるという共通点まで発見。)。2晩目の夜は幻覚を見るようになり、木の枝振りが漢字に見え、10mほど先の大きな石がお地蔵さんや妖精に見えました。Brianと何が何に見えるとお互いの幻覚を自慢しあっていたのですが、朝が来ると不思議と幻覚は嘘のように消えました。2日目の朝は嵐が去って雲一つない良い天気でしたが放射冷却が厳しく1,500mを超える山の上では氷点下10度ぐらいの体感温度でした。この世のものとは思えないほど美しい朝焼けに包まれながら凍結する山道をBrianに導かれながらシャモニーを目指しました。
 私はすでに脚が終わっていたため登りでかなりの前傾姿勢になり、ストックで無理に登ろうとし続けたため肩、二の腕、背中、尻、ハムストリングまで経験したことのない痛みを感じていました。面白かったのは登るための筋肉がダメになった後にさらに登ろうとすると普段使わない筋肉を動員して身体は対応しようとするのです。シャモニーまで20kmほどのバロシーンを過ぎると、Brianの奥さんや息子も度々コース上で励ましてくれました。長い旅の終わりのフィニッシュに備えて川の水で顔を洗い、髪の毛を整え、泥にまみれたシェルなどを脱いで準備をしながら「どういうポーズでゴールするか?」と話し合いながら引き続きゴールを目指します。英国紳士のBrianは、フィニッシュする前にダンスを踊りたかったようですが、靴を脱いで両手に掲げてゴールするという英国紳士的には斬新な私の提案に最終的に落ち着きました。いよいよシャモニーの街に帰ってきました。
 2011年UTMBゴール手前ゴール手前2㎞のところに妻、途中リタイヤした横山峰弘選手、結局リタイヤしたというKrissy Moehl選手と一緒だった男性を発見。それだけで涙が出るぐらい感激したのですが、その私に熱いメッセージをくれた男性は「Well done!」と言って私の肩を抱いて祝福してくれました。「Yeah, I just hung on」と言ったまでは覚えているのですがそこから先は良く覚えていません。ゴールまで追いかけてきた妻に聞くと、待っていてくれた皆を振り切る勢いで走り出し、ゴールの手前でVincentの祝福を受け、誰かに借りた日の丸を突き上げながら多くの日本人ランナーや芥田さん、斉藤さんなどお世話になっている方と15人ぐらいの集団でフィニッシュしたようです。あれほど時間をかけて決めた靴を掲げるパフォーマンスもすっかり忘れていました。気が付いた時には9位に入った山本健一選手も輪に加わり大勢の日本人に胴上げをしてもらっていました。
 

 夢のような二日間がこうして終わりました。翌日、妻に「今回はどんなになってもやると思っていた。」と言われ涙が出ました。Brianは相談して決めた靴を掲るポーズを2013年のUTMBのフィニッシュで決めてくれています。2013年にUTMBを完走したBrianに「おめでとう」とメッセージを送ると、「今回はさびしかったよ、日の丸チームの出迎えがなかったから。」と返事が来ました。私は、帰国後その足で床屋に向かい髪の毛を切りました。

 ヨーロッパでウルトラトレイルを走る度、この2011年のUTMBに負けず劣らないドラマがあります。私が特に刺激を受けるのは、欧米のトレイルランナーの共感し、それを表現する姿勢です。アンドラで怪我をした私が脚を引き摺りながら歩いていると後方から追いついて来るランナーの何人かが、無言で私の肩を抱いて行きました。明らかに慰めてくれているのですが、「お前の魂を俺が連れて行ってやる」というような労り慰める気持ちすら感じました。2011年にUTMBで見ず知らずの私に声を掛けてくれたKrissy Moehl選手の練習パートナーもそうですし、自分は脚の故障でリタイヤしたにも関わらず、ゴールまで併走してくれた横山選手もヨーロッパのレースを経験し、共感しその気持ちを表現してくれたのではないかと思います。レース中に追い抜かれたランナーが「Allez、Allez!!(がんばれ!)」と声をかけてくれることなど極めて普通です。私は、この数年間ヨーロッパのトレイルをレースやトレーニングで走り、かの地がトレイルランニングの沢山の強豪を擁するトレラン先進地であるだけでなく、トレイルというフィールドを共有する他のスポーツからも尊敬されるだけの何かを既に築いているように感じます。その何かとは、文化と言い換えても良いほど確立したものだと思います。この「共感し、それを表現する」ことがヨーロッパにトレラン文化を築く一つのキーワードなのではないかというのが私の直感です。

 翻って日本。トレイルを楽しむランナーの数は私がトレイルを走り始めた2000年前半に比べれば飛躍的に増加しました。日本にはレースを目標とするトレイルランナーが非常に多いようで週末の度に行われるレースの数も同様に増え続けています。UTMFのような正にワールドクラスのおもてなしの精神で運営が成り立っているトレイルレースが日本で誕生したのも日本のトレイルランナーが築いてきた何かが作用しているのではないでしょうか?
 私は、海外でのトレイルレースに参加するようになり、肉体的にも精神的にも刺激を受け成長しています。こうして「走作楽天」というエッセイにトレイルランニングとの出会いから、ウルトラトレイルと出会って変わった今の自分を書きながら、改めて自分という人間が良く理解できました。今後さらに刺激を求めて国内外のトレイルや近所の井之頭公園を走り続け、何か自分が海外のトレイル事情に触れて感じたことも伝え続けていく自分がイメージできます。
 アンドラのレースレポートも含めて6回に渡りお付き合いいただいてありがとうございました。A&Fの社員、スタッフの方々のお蔭で私の考えていることをこのような形で表現させていただくことが出来ました。改めて深くお礼申し上げます。

トレイルランナー
渡邊 千春

 【Chiharu`s Trail Pick】”世界のトレイル”バルセロナの街とモンジュイックの丘

 私が行ったことのある世界中の大都市でバルセロナほど街中を走って変化のある街はありません。バルセロナオリンピックで有名になったモンジュイックの丘やグエル公園のような200m弱の起伏もありますし、何しろガウディの建築が街中に幾つもむき出しになっていて変化に事欠きませ。私は、繁華街のランブランス通りのグエル邸に近いホテルに宿泊していました。時間が遅くなればなるほど観光客、地元の人々が通りを埋め尽くすようになるので午前中に宿を出ました。グエル邸、カサ・バトーリョ、カサ・ミラ、サグラダ・ファミリアと街中を3㎞ぐらいのガウディの建築めぐりから入ります。サグラダ・ファミリアから北側に直線2㎞ぐらいの場所にグエル公園があります。一番高いところは海抜180mぐらいですが、公園内の不整地のトレイルを繋いで走るとこの公園内で2㎞ほど走れます。グエル公園の南側を通っているGran Via CharlesIIIという環状線のような太い道を西に5㎞ほど行くと家々の窓にバルサの旗が増え、これでもかとバルサの旗やバルサを纏った人々が街角を埋め尽くす辺りにFCバルセロナの本拠地Kanpu Nouというスタジアムがあります。ここにはバルサの巨大なショップがあり、バルサの試合がなくても世界中からバルサファンが集まっています。Kanpu Nouの後は2㎞ほど南下してこんもりとしたモンジュイックの丘を目指します。巨大な噴水の前を通り北側にあるカタルーニャ美術館のやはり巨大な階段を上ってさらに太い舗装道路の道を右手にオリンピックスタジアムを見ながら500mほどなだらかに丘を駆け上ります。やはり海抜200mほどの丘の頂は地中海を見下ろす海沿いにあり、ここからは360度のパノラマを楽しむことが出来ます。下りはミロ美術館の横に位置する不整地と舗装道路が混じったトレイルを降りると良いでしょう。ほぼ海抜0mまで降りると、スタートしたランブランス通りはすぐそこです。どれだけ回り道、道草をするかにもよりますが15㎞ぐらいのコースです。大変乾燥した時期に走りましたので小銭で何度か水を買いました。グエル公園の近くには飲用と書いてある蛇口があり、癖のない味の水が飲めました。言うまでもないことかもしれませんが、一つ一つの観光スポットは中身が濃いのでそれぞれゆっくり時間をかけて別に行ってくださいね。

レポーター紹介
 渡邊 千春
渡邊 千春

外資系企業で働きながらも、UTMBなど海外レースをはじめ数多くのトレイルレース、イベントで活躍中のビジネスマンランナー。親子でトレイルレースへの参加やアルプス山行などトレイルを楽しむ。