2013.12.04

「グレートシーマンプロジェクト」-バリ島~ロンボク島編-

八幡 暁

「グレートシーマンプロジェクト」シーカヤックをちょっと齧った方はもしかしたら知っているかもしれない。オーストラリアと日本をカヤックで繋げるという壮大なプロジェクトである。これを遂行しているのが八幡 暁氏である。2002年にスタートしたこのプロジェクトは今年で11年目を迎えまだ半分ぐらいは残っているがこの11年で航海した場所はまさに難所。一瞬たりとも手を休められないバシー海峡や黒潮横断など。そんな模様を当コンテンツでは2007年より掲載。少し時間は空いたがバリ島~ロンボク島から再開したいと思う。氏は冒険家でもシーカヤッカーと呼ばれることが好きではない、あくまで手漕屋で素潜屋である。そんな手漕屋&素潜屋“八幡 暁”の前人未到のアドベンチャーを綴っていきたい。

バリ島の向こう

朝日が昇る前に、僕はバリ島からロンボク島へと漕ぎだしていた。指先に触れるのは、荒れる海として知られるロンボク海峡。アジアに広がる動物類と、オーストラリア側に属する動物を2分する原因になっている場所、とも言える。バリ島とロンボク島の間は40km程しか離れていない。にもかかわらず200メートル以上の深度をもっている。

1万年以上前のこと。バリ島より西の島々が、まだ1つの大陸で繋がり、スンダランドと呼ばれる大陸を形成していた頃、オーストラリアからニューギニアには、サフルランドと呼ばれる大陸が地表に出ていた。この広大な大陸が広がってい時代でも、この海底の亀裂は、大陸で繋がっていなかったらしい。だから動物の生物相を分けることになった。

南極の海と、太平洋の海を繋げている、とも言える海峡だが、たった40キロメートルの海峡が唯一の出入り口だとすれば、海はどうなるか。高速で流れる。もしくは海面が押し上げる、ことになる。押し合いながら、海水は、狭い海峡にさっとうする。エンジン船でも、潮流に逆らえず流される。流れと風が生み出す大波に船が沈むこともあるらしい。
この島に住むローカルの漁民も口をそろえて言った。
「ここの海は、危ない。手漕ぎで渡るなんて、やめといたほうがいいよ」

漕ぎ始めて2時間後、夜が明けた。ロンボク島のリンジャニ山が見える。標高3726メートル。小さな島に富士山程の山があるのだ。何万年も昔から、この海に生きる漁民の道しるべになっていたはずだ。

「山さえ見えれば、迷うことはない」


コンパスは必要がなくなった。たまたまなのか、恐れていた波も、潮流も、酷くない。鼻歌が出るくらいだ。しかし、いつ荒れてくるのか、という緊張感は継続していた。周囲に目を凝らし、タンカーの往来も確認する。波の機嫌を知る為に、海面の表情の変化を見逃したくない。大きな蛇が動き出すように、手元の海が動き出せば、カヤックを漕ぐ力など、微力。しがみつくだけで精一杯になるだろう、そんな想像をしながらのパドリングが続いた。

いつしか、おぼろげに見えていたロンボク島は、はっきりとした形を見せていた。海を怒らせることはなかったようだ。集落が白いビーチに並んでいるのがわかる。アウトリガーの付いたローカルの船が並んでいた。この島の文化は、隣のバリ島とも違うと聞いている。違うのは動物だけじゃないのだ。この漁村に観光客はいない。その土地に愛着を持ち、そこで生まれ、そこにあるものを食べ、そこで死んでいくような暮らしが残っているのではないか。上陸する前、僕の心は海の緊張から解き放たれていた。

僕の旅の最大のテーマは「海とそこに生きる人の暮らし」を学ぶことだった。
今、まさにその世界に入り込もうとしていた。

レポーター紹介
八幡 暁
八幡 暁

やはたさとる●1974年東京生まれ。素潜漁とシーカヤックを駆使しながら海を渡る旅のスタイルを確立。オーストラリアから日本まで横断する前人未到の人力海旅「グレートシーマンプロジェクト」を2002年より開始。「手漕屋素潜店ちゅらねしあ」のガイドとしても挑戦を続けている。

グレートシーマンプロジェクト 手漕屋素潜店ちゅらねしあ