第25回ハセツネCUP 日本山岳耐久レース
2017.10.27 髙村貴子

第25回ハセツネCUP 日本山岳耐久レース

第25回ハセツネCUP 日本山岳耐久レース

高村貴子

第25回ハセツネCUPは私にとって3回目の大会出場となります。一回目は完走を、二回目は上位を目指して優勝したい。そして今回は女子歴代の大会記録をみて9時間切りをしたい目標を立てました。今年はスカイレースをメインに活動してきたので、山岳区間である西原峠以降を昨年度よりどれくらい速く走れるか楽しみにしていましたが、ハセツネコースはそんなに甘くはありませんでした。

 

今年のハセツネCUPに向けて
9月初旬に行われたスカイランニングアジア選手権を終えてから、ハセツネコースをどのようにしたら私なりに攻略できるだろうかを考え始めました。最近走ったレースといえば、スカイレースは20~30kmが中心、最長距離は菅平スカイライントレイルランの45kmのみ。それから考えるとハセツネコースはその約1.5倍強。最後まで走り続けるためには何ができるか。昨年までの自分を比べると、スピードには強くなった。登り・下りのテクニックも上がってきている。それにワールドシリーズ戦スカイレース・コマペドローサで3位になれたことで経験値も上がっている。あとは距離に対する不安を払拭すれば走り切ることができるはず。今までの自分を信じて走るしかないと考えました。

 

ハプニング:ハセツネ3週間前事件
9月の三連休前日。練習に山を走ってこよう!!と出かけたとき、下りで転倒し、ひざがぱっくり割れて10針以上を縫う怪我をしてしまいました。私にとってはとんでもない失態です。その時は縫って傷を閉じれば、また走れると軽い気持ちで病院に行ったのですが、処置後の説明で「1~2週間安静、本当は歩くこともよくないし、走るなんてもってのほか。」とくぎを刺され、楽しみにしていた3連休の山に行く計画は潰れました。このままでは筋力も落ちてしまうと絶望感を味わっていました。何とか1週間が過ぎ、病院実習以外は安静状態を保っていたので、膝の状態も良くなり、抜糸をしてもらいました。ちょうどハセツネ前に出ようと思っていたレースがあったので出てみたら、レース途中の沼地にはまり転んで傷あとが無残にも開いてしまい、救急病院へ駆け込むことになりました。縫ったところが再び開くと治りが悪く、治癒までに時間がかかることはわかっていたので、ハセツネまでに間に合わないのではないかと不安と焦りに襲われました。何とかしなければと焦る気持ちを抑え、別の病院でも診てもらいました。そして2週間後のレースに絶対出たいことを相談したら「そんなに走りたいのなら抜糸しないで走る方がいい。傷が開かないように固定すればおそらく大丈夫だろう。」との診断を頂き安堵。先生からの言葉を信じて抜糸しないで走ることにしました。縫ってから1週間は絶対安静が条件だったので、今回ばかりはちゃんと言うことを聞き、一週間はおとなしくしていました。大会が始まる前から大ハプニングでしたが、怪我の安静は休養に切り替え、風邪もひいていたので体調管理を意識させる出来事として捉えることにしました。

ハセツネのパンフレットが送られて
パンフレットを開いてエントリーリストを見ると、今年は男子も女子も有力選手が揃っている上に、話題のタラウマラ族(メキシコ)の最速女子の人が来日しハセツネに参加。テレビ取材が入るという注意項目が記載されていました。ますますロングレースを走っていないことからのマイナスイメージばかりが頭をよぎります。考えても仕方がない。けれど周りのことが気になるなど負のスパイラルに陥りました。そんな時、本来の自分に戻したいと思い、両親や信頼できる人と話をしていると、「周りを気にせず、自分の力を100%出せるコンディションを作ること。それで負ければ次への課題として受け止めれば良い。」と言われ、確かに納得のいく走りができない方が悔しいと思い、今まで頑張ってきたことを振り返り、走る楽しさをイメージトレーニングしてハセツネ本番を迎える準備をしてきました。

 

東京への移動
平日は病院実習があるため、東京に着いたのは金曜日の夜遅くになりました。思ったより東京は涼しく雨も降っていたので、昨年のこともあり今年のレースはどうなるのだろうと思いながら休みました。翌日、ハセツネ会場に近いホテルに移動しのんびり持ち物の確認をしていたとき、齊藤さんから電話を頂きました。少しお話をしていたら突然に「隣に山本健一さんがいるから代わるよ。」と言われ驚きで、ウソでしょ!!信じられない!!を心の中で連発。まさかのヤマケン先生でした。「明日は怪我をしないよう頑張ってね。今度一緒に山へ行こう。」と声をかけてもらいレース以上に心拍があがっているところに、続いて石川弘樹さんからも「緊張すると思うけれど頑張ってね。」と応援メッセージを頂きました。今日はもう夜眠れないんじゃないかと一人興奮し、『明日は頑張ぞ!!』とレース前から一人だけで盛り上がっていました。『齊藤さん、最大級のサプライズありがとうございます!!』。感謝してもしきれない思いでいっぱいでした。それから夕食を食べに出かけ帰ってきたら移動疲れも加わりベッドに入るといつの間にか眠ってしまい、先ほどの眠れないのではないかという心配は全く嘘のようでした。(笑)

 

レース当日
レース当日は目覚めもよく、むしろ二度寝をしてしまうくらいグッスリ。『これだけしっかり眠れたから今日は大丈夫。』と自分に言い聞かせました。会場に到着するとすでに沢山の人の姿があり、『ああ、ようやくハセツネレースが始まるのだ。』とワクワク感が湧いてきました。受付に行くと開会式で優勝杯の返還をすることを知り、昨年の自分の姿を思い出して緊張してきました。開会式までの時間、ペツルのブースでライトの設定をみて頂き、北原先生に体をほぐしてもらい、ジェル等の準備をして芥田さんにニューハレをたくさん貼って頂き、無事準備完了。時間に余裕を持っていたつもりでしたがもう12:00になっており、スタートまで1時間。ワクワクではなくソワソワした気持ちに変わりました。

 

優勝杯返還の後、スタートラインに並びました。さあカウントダウン。あとは今までやってきたことを信じて自分の力を出し切るだけ!!気持ちを落ち着かせスタートを待ちました。


いつものことですがスタートは本当に速い。渋滞にかからないように男子選手に並んでついていき渋滞地点を通過。よしよしここからは自分のペースで走ろうとスピードを緩めようとしますが周りのペースに押されて思うようにいかず今熊神社に到着しました。いつもより速かったけど足は疲れていない。きっと登りでペースも落ちて、自分に合ったペースになるはずだから心拍を上げないようにしようと気を付けながら進みました。それでもやっぱりハセツネ。周りのペースに流されて体感よりかなり速かったように感じました。疲れを出さないように登りはほとんどを歩いて、下りで走るというスタンスで進みました。無事に浅間峠に到着すると齊藤さんが応援に駆け付けてくれていてテンションも上がったところで、時計を見るとなんと2:42!! 『思ったより疲れを感じていない。浅間峠を抜ければ私の好きな山岳区間が増えてくるからここからはもう大丈夫だ。』と思い、そのままのペースで走ることにしました。西原峠までは足は少し疲れているけれど呼吸は辛くないからいけるという感覚だったのですが、得意であるはずの三頭山の登りで、一気に足が動かなくなり『本当に登りが進まない。どんどん後ろから追いつかれる、月夜見以降進める気がしない。どうしよう。 そうだ、この時のためのべスパだ!!』とべスパを摂りしばらくすると足が少しずつ動くようになり、下りが走れるようになってきました。改めて『べスパってすごい。』と感動。鞘口峠を過ぎ、もう少しで月夜見の駐車場というところで、ガスでコースを見失い慌てました。ハセツネのコースはロストしないと思い込んでいたので、まさかの迷子。ここで迷うなんてありえない。近くにいる男子選手とゆっくり進み、なんとかコースを見つけて月夜見まで辿り着くことができました。
給水所では、ボランティアスタッフをしていた芥田さんに給水していただきました。芥田さんの顔を見て、元気が出てきて、足は疲れていたけれど走れる気になり、月夜見の駐車場を出発。二年前の教訓を活かして滞在時間は2分ちょっと。月夜見を出るとしばらく下りが続くのですが、下り始めたところで『あれ、足が疲れている。思うように下れない。』ということに気づきました。『でもここからは私の好きな山岳区間だ。きっとさっきのように復活できる。』と自分と対話しながら、『下りは諦めて登りで稼ぐことにしよう。』と考え進むことにしました。昨年は月夜見でまだ元気だったからか、御前山と大岳山の登りを長く感じなかったのに、今年は本当に長かった。もう足がパンパンになり一歩進むのがやっとです。ボーっとすることも多くなり、何度もよろめきました。なんとか御前山の山頂に着いて下り始めるも、太ももやふくらはぎが痛くて一歩一歩の動きからくる振動や段差の衝撃で痛みが倍増。下りが大好きなはずなのに月夜見以降は『登りだけしかいらない!!本当に下りたくない!』と頭の中で叫んでいました。このあたりから、三頭山から不調だった内臓がもう限界に達したようで、お腹を下したような腹痛が始まり、下る衝撃で内臓も足もダメージが大きくジェルも水も受け付けない状態になっていました。ここまで意識が朦朧として何も受け付けつけなったのは初めてで、ハセツネでこんなことになるなんて…と絶望的でした。『でも下を向いていてもゴールは近づいてこない。せめて第3関門まで行けば誰かに会える。きっと元気をもらえるはず。』と期待をしながらhoneystinger のオレンジマンゴーとべスパという最高においしい組み合わせでエネルギーを補給し、そこからは無心で大岳山を登り、下りは生まれたての子鹿のようなヨチヨチ歩きで降り、何人にも抜かれつつ第3関門通過。通過タイムは目標の9時間切りは無理になってきたけれど、そんなことより『早くゴールしたい。みんなに会いたい。』という気持ちだけでした。いろんな人に「あと少しだよ。」「ここからぶっ飛ばして行けー!!」と応援を頂き、『そうだ、あと10kmちょっと。1時間15分あればゴールだ。』と考え直し、日の出山を登り始めました。『登りは今までで一番登れている。通過タイムもいつもより速い。あとは金毘羅尾根だけだ。』と自分を奮い立たせて下りに入りました。しかしやはり下り始めるともう腹痛と足の痛みが限界を超え、ジェルもとれていなかったのでエネルギーも底を突く状態。一番楽しみにしていた金毘羅尾根が今までで一番つらい金毘羅尾根になっていました。何とか歩くスピードで下り、追い越されるたびに「あと少しだから頑張って。」と応援の声をもらい、『早くコンクリ坂が出てきてほしい!!』と願いながら走りました。

コンクリ坂が出てきて、やっとゴールが近くなった筈なのに、去年より距離が延びたんじゃないと思えるほど終わらない。ようやく住宅街が見え、ああやっとゴールできると思うと嬉しくて今まで走れていなかった足がどんどん動くようになりました。ゴール手前の角にはユースのみんなや志帆さん、高津さんの顔が見えて本当に嬉しくてうれしくてゴールした瞬間、嬉しさと安堵感で涙が出ました。途中体調不良に見舞われゴールにたどり着けるか不安の中、無事に完走、ゴールできたことがこんなにも嬉しいレースになるとは思ってもいませんでした。そして、いろんな方々から祝福していただけて本当に幸せでした。走り終わった後はただただ嬉しい気持ちが大きかったのですが、次の日に表彰式で優勝杯を再び手にして、ようやく2連覇できたことを実感し、嬉しさがこみ上げてきました。今年の目標レースの一つだったハセツネCUPで優勝できて本当に本当に嬉しいです。

 

今回、大会新記録には全く及びませんでしたが、櫻井教実さんがとてつもなくすごい人なんだなあと身を持って実感しました。私も櫻井教実さんのような強い人になりたい、そして櫻井さんの記録をいつか超えたいと以前より増して強く思うようになりました。

 

最後になりましたが、ハセツネ大会に出場するにあたり、相談に乗ってくださった方々や応援いただいた方々に感謝しております。そしてメーカー様には心よりお礼申し上げます。みなさんのお力をお借りしなければ今回の結果を出すことはできませんでした。本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

 

レポーター紹介
髙村貴子
髙村貴子

1993年1月石川県出身の現在、北海道旭川市在住の大学5年生。クロスカントリースキーのトレーニングの一環でトレイルランニング大会に出たのがきっかけで走り始める。
2016年イタリアで開催されたスカイランニング・ユース世界選手権では女子2位、同年のハセツネでは女子優勝と成長著しい注目の若手アスリート。